江東区合気会にはたくさんの会員の方がいて、祭り歴や、始めたきっかけは人それぞれです。

こちらのコーナーは「祭り歴は?」「始めたきっかけは?」「祭りの魅力とは」など、ある意味定番の質問、でも実はあまり聞く機会のない質問を江東区合気会の会員の方に答えてもらおうという企画です。

これから祭りを始めようと思って、こちらのサイトにいらっしゃる方にも参考になればいいな、と思います。


K・Tさん(男性)

当会の副会長。

参加した(している)祭りは深川・さらには江東区内だけにとどまらず都内近郊に及ぶとか。

祭りのカゲにこの方あり。担いだ神輿は数知れず…

現在七段(合気道の話です)。

祭り歴は何年になりますか?

 60数年になります。地元佐賀町で小さい頃はお神輿について竹のバチを叩きながら一緒に歩いていました。

 小学校高学年になると子供神輿を担ぎ始め、以来深川の水かけ祭りだけでなく、山王祭や神田祭、高円寺阿波踊りの神輿巡幸など夏は毎週の様にお祭りに参加しています。

1996年の水かけ祭り
1996年8月18日(平成8年)の本祭の様子です。佐賀町名物トラック水掛け!担ぎ手の熱気と観客の熱狂が伝わってきます。

祭り始めたきっかけは?

 小学校3年生くらいの時、父に連れられて行徳の神輿屋(後藤)に佐賀町の今の神輿をトラックで取りに行ったことがきっかけです。

 佐賀町の神輿は戦前4尺5寸(1m36cm、約2トン)と深浜と1、2を争う大きさの神輿でしたが戦争で焼失しました。

 戦後、行徳の後藤直光がフランス万博に出展するために作った神輿を購入し、現在に至ります。当時の日本の技術の粋を集め、屋根と台輪に青貝をちりばめた螺鈿塗り(らでんぬり)でとても美しいお神輿です。一見の価値あり、担がなくても是非見に来て下さい!

祭りでの思い出

 深川水かけ祭り(富岡八幡宮例大祭)の当日、佐賀町会館から連合渡御の永代通りの集合場所まで「木頭(きがしら)」を務めたことです。

 木頭は神輿の上げ下ろし時の拍子木を打つ頭(かしら)のこと。お神輿の担ぎ棒に立ち、一段高いところで一本締めて神輿を担ぎ上げる音頭をとります。当時、祭りの執行部で副会長を長く務めたこともあってか、この大役を任されました。担ぎ棒の下にいる仲間から「よっ、日本一!!」と掛け声をもらい、男冥利に尽きる、と心の底から思いました。

昔の佐賀町を渡御する
年数不明ですが、昭和30年代頃と思われる佐賀町内での写真です。参加者たちの祭りへの想いと熱気はいつの時代も変わりません。

祭りの魅力とは?

 やはり、「普段と違う高揚感!」です。

 「祭のときの三日やくざ」という言葉があるくらいで、普通の人も変わってしまう独特の雰囲気、気持ちの高ぶりがあります。

 特に祭りの見せ場である、永代橋の差し上げ渡御は佐賀町だけで1,000人近くの担ぎ手が集結し、最初の揉め指しから物凄いパワーと祭りならではの一体感・高揚感があります。以前は差し上げたまま橋を渡りきっていましたが、あまりにも勢いがついたお神輿が前のお神輿を抜かしてしまい(横の抜け道へ危険を感じて避難)、今では橋の真ん中までしか差し上げできません。

 それでも大祭の度に多くの観客が永代橋に所狭しと見学に押し寄せ、お神輿と担ぎ手の雄姿に心躍らせ、楽しんでいます。佐賀町にはトラックからの豪快な水掛けもあり、是非こちらの雄姿も見ていって下さい。

祭り始めようと思っている方にひとこと

 神輿担ぎは楽しいですよ。みんなと一体になれます。
 
 一緒に担いだ仲間、担ぎ終わった後に笑顔でお互いをたたえ合います。昔、御本社一の宮神輿を名優の安岡力也が同じ部会で、担ぎ終わったときに「あのでっかいの一緒に担いだな」と握手を交わしたことは良い思い出です。

 皆さんもお祭り・神輿担ぎを通じて日常生活を忘れるくらいの高揚感、そして一緒に良き仲間に巡り合いませんか!

…どこかで見たようなフォーマットにのせてお答えいただきましたが(笑)祭りへの想いが伝わってきます。350年以上続くお祭りに60年以上参加している…これってすごいことですねー。もはや歴史の一ページどころではないことは周知の事実と言えるでしょう。


 次回は今年の本祭の様子を掲載いたします!